めちゃくちゃ久しぶりに講演に行ってきた。事業承継をした社長同士でディスカッションをする、リーダーシップ系のやつ。友だちが「絶対面白いから行ってき!」ってパスくれたので即申し込んで挑んできた。感想を一言で表すと「圧倒劣等感」。これに尽きる。差を感じた。なんか悔しかった。めっちゃメモしたし。講演後に隙を狙って登壇者と2人で話すチャンスを得られた。めちゃくちゃいい人だったので、余計に虚しさを感じた。登壇者の社長に同い年の人がいて話してみて感じたのが、その圧倒的差である。これはまっすぐ帰れんぞと脳より先に身体が近くのマックを探していた。そして、今マックでこの文章を殴り書きしている。自分に足りていないもの。それは「言語化」であると、仕事をしたことはないけれど酒の席では会う人に最近指摘されハッとした。ツッこんで自分にそう言ってくれる人が少ないのですごくありがたかった。なのでそれに報えるよう、「悔しかった」で終わらせないために”言語化”しようと思う。がんばれ俺。まずは、「劣等感」について読み解く。なぜ劣等感を感じたのか。感じた瞬間は、同い年の社長と2人で話したときだ。講演中も聞きながら思ってはいたが、同い年なのに経験の差が違いすぎる。直で2人で話すと異常に強者感を感じた気がする。壇上ではニコニコして親しみやすい感じではあったが、近くで話すと何かブレない、隠れた強い幹を感じた。背筋が伸びた。あと思ってたより身長デカくてビビったのは正直ある。2人で話す中で、自分の意見を伝えてみた。自分(俺)は強い原体験、バックボーンを持った人に憧れを感じている。自分にはそういう強烈な原体験がないのがコンプレックスだと。そうすると、原体験は今から作れます、と。チャレンジする中で生まれます、と。なるほど、確かに最近の自分はできることしか選んでないことに気づいた。それはチャレンジではなく現状維持に過ぎないと。それに加え、やりたいことがわからない、と恥ずかしさを捨てて正直に聞いてみた。そしたら、やりたいことなんて見つかんないっす、と。そうなんや。びっくり。そうなんや。チャレンジする中で課題が出てくるから、それを乗り越え続けると、そう解釈した。考えている次元が違うなと思った。リトル俺(リトル本田的な)がささやく。「比較しなくてもいいんじゃ?」確かにそうである。生まれも育ちも違う、ただ同じ年齢なだけである。自分はただの社員。相手は社長。比較する時点でミスっている。まぁ考えたらそうなんだけど、自分もいつかは自分で事業やるぞって意気込んでるので、その片鱗がチラ見してきて自己矛盾を起こしているのかもしれない。自分の気持ちに蓋をしないこと。やりたいこと、というかやってみたいことは、まずやってみる。これなんか前にも同じこと言ってたような気がするけど、また書いてるってことはチャレンジしてないってことだな。さっき出てきた、仕事はしたことないけど酒の席はある人が言ってたけど、自分は上手な言い訳のキレイな双璧を作るのが得意らしい。うまく理由をつけてそれをしない方向に持っていくのが上手いらしい。長所なのか短所なのかわからんぞ。適材適所か。なぜそれを選ばなかったのか、選んだのか、その時その時感じたことを言語化する。これをやり続ける。ちょっと待って。気持ちが落ち着いてきた気がするけど、寄り道しまくってちゃんと言語化できているか?話を戻そう。そうそう、なぜ劣等感を感じたのか、その答えは、チャレンジしていないから。じゃあ、何しようか。チャレンジするために何をチャレンジするのか。小さいかもだけど、決断の場を増やす。ランチのメニューを決める時も、自分で決める。僕も一緒で!禁止制度。なぜそれにしたのかちゃんと言語化する。さっきも書いたが、やってみたいことはやる。気になることは自分の気持ちに正直になって動く。まずはそこをやり続けてみたいと思う。あ、今思いついたけど、「1日1チャレンジ企画」。今までやったことないことをひとつだけやってみる。通ったことない道を通るでもOKにしよう。ハードルは低く、まずは続けやすさ重視でいきやす。チャレンジっていうと大きいことって重いガチなんだけど、まずはちっちゃいところからやってきます、押忍。猛烈に書いていたら落ち着いてきたぞ。アイスコーヒーのせいかもしれないが、あきらかにクーラーの風量が強くなった気がする。24時間営業だけどそろそろおうち帰ってオフトゥン入らないかい?ってお誘いだろうか。オフトゥンに会いにいくか。言語化の旅は続く…